人に伝えようとするのは自然なことでしょ

秋葉原で起きた、無差別殺傷事件の被害者の方々に心よりご冥福をお祈り致します。

私はあの場でustで中継しました。それはついさっきまでリナカフェの状況を中継していたのと何ら変わらない。ただ、その場での出来事を、あの場の空気を中継したかったからした。ただそれだけでした。

http://gunnyori.net/2008/06/69.html

この事件をustで中継した方のブログを読んで。
ブクマコメントでは足りなかったのでエントリにすることにした。

そんな私は不謹慎なのでしょうか?

http://gunnyori.net/2008/06/69.html

オレはそんな風に思わない。誰かが伝えなければその場にいない人には伝わらないし、それは必ず報道に携わる人間でなければならないなんてことはない。
被害者を撮影するだけで助けないというのは言語道断だが、すでに警察や救急隊が来ている状態なわけだし、下手に手を出せる状態ではなかったと思うし。素人ができることなんて限られてる。


と、ここまで書いて思い出したが、そもそもblogってのは9.11の時にそんな感じで広まったんじゃなかったっけ?
てきとーにググってみた。

米国でブログが急速に広まった背景を検証すると「9-11」に突き当たる。2001年同時多発テロの発生直後、ニュース系のWEBサイトにはアクセスが殺到し、ほとんど接続できない状況が続いて役に立たなかったことを覚えている。これを補うように、個人のブログでは撮影され写真や映像が公開され、どこのサイトに行けば有用な情報を得られるかがやり取りされ、マス・メディアの情報源としても大きな威力を発揮した。

http://blogs.promotionpartner.jp/ishiiblog/archives/2006/02/19blog.html

そうそう、たしか日本でもblogが〜と言われ始めた時にこんなことをあちこちで言っていた。
今回の事件が全く同じとは言えないだろうけど、根本は同じことなんじゃないのかな。ustした人は被害者を撮影してどうのこうのってことをしたわけでもしたかったわけでもなく、ただその現場のことを誰かに伝えたかったんだと思う。人間は誰もが誰かに物事を伝えたい、理解してほしいという欲求を持っている。むしろ自然な行動だったのではないのかな。
どちらかといえば、これから行われるであろうマスコミによるネガティブキャンペーンのほうが・・・。国のおエライさんも意味のわからんことをほざき始めているし。トラックも規制ですかね?

人間の本能として、『自分のやりきれない気持ちをほかの人と共有したいという思いこそがブログをここまで育て上げたのだ』とはっきり言うことができる。

http://blogs.promotionpartner.jp/ishiiblog/archives/2006/02/19blog.html

繰り返すけど、人には誰かに物事を伝えたいという欲求がある。オレは自然に発生する欲求を否定することはできない。